1998年、実はいいことばかり…で始まった年ではありませんでした。
ごく一部の人にしか話してなかったのですが、こっそり2年ほど付き合っていた彼が、急に会社を辞めて田舎に帰ると言い出しました。
きっかけ -その1-
お局様の道 -まっしぐら-
今まで書いてきたように上に先輩がほとんどいない、男性ばかりの中でも苦痛ではない(中には女子高、短大と出てきてこの環境になじめず、総務部門に移りた いって子もいました)、女性が少ないので、結構ちやほやしてもらえる(爆)と言う状況でしたので、私にとっては半ば嫌々行った会社でしたが、なんとも心地 よい状況となりました。
おまけに上司に恵まれ、会社に入って20年近く、会社を辞めるほんの数ヶ月前まで1度も辞めたいと思ったことがなかった私です。(この話は後ほど)
私は所謂日課業務と呼ばれるものではなく、他の執務さんたちとはちょっと異なった仕事をさせていただいていたと言うこともあったからかもしれません。
* 日課担当=スタッフ(エンジニア)のサポート業務で、勤怠(残業時間の管理、休暇の管理等)、出張前借(これって他社にはあまりないシステムのようでした が、出張に行く方のために経理からお金を借りるために伝票を切ったり、またその清算、飛行機や宿泊の手配など)、とにかく、スタッフの方が仕事に打ち込め るようにするために、あらゆる雑用をこなす係り。
私が入社した頃はワープロも普及してなかったし、パソコンなんて…。
ということで、真っ先に覚えるのが私の仕事で、それを教えるのも私の仕事でした。
社 内で(と言うかに同じ業種内に)特許問題があったときには、外部に特許の検索システムを習いに行ったり、大学との委託研究の規約書を作成したり、それを大 学に持っていってサインを頂いてきたり、論文発表会(全国の企業や大学が集まって発表する場)の受付に行ったりと、ほんと他の人が経験してないことをいっ ぱいさせていただきました(なぜかこの手の仕事は自分の部門以外からお声がかかっていくこともありました)。
もちろん、全部初めてのことで戸惑いや悩みもありました(時々なんで私がこんなことしないといけないのか!!なんてね)が、どうも私にはそういったことがあっていたようで、仕事が楽しかったです。
一番大きかったのは、ほとんど会社内で人間関係に悩んだことがないってことでした。
本 社に提出する書類を作成したり、ある費用に関しては、年度計画(何件どの部門に割り当てるとか予算の申請など)からその費用の予算管理まで任せてもらって いた時期もあったので、他の部門の部長さんに対して「早く書類を出せ~」とか「ここが間違っている~書き直せ~」などと催促に行くことが多かったので、新 入社員からみると、雲の上の存在の部長を、怒鳴り!?つけている怖いお姉さん!!と見えていたようです(これはよく飲みに行くと言われました)。
しかも結構年上の方を「ちゃん付け」で読んでいたので、あの人は一体何者~(笑)状態だったのです。
実は後々ぶーちゃんの上司になる人たちも私よりは年上なのですが、入社が私より3年遅く、しかも結構良く遊んでいた人たちだったので、ぶーちゃんはその人たちから「部長よりも偉い人だから逆らわないように」と教えられていたそうです(爆)。
M社の中でも私が勤めていたところは生産ラインがあったところなので、祭日等はなるべく金曜日や月曜日に持ってきて連休にしていたため、GWや夏休み冬休みはそれぞれ10日近くあることが多かったんです。
それに加えて、上記のように私は自分だけで出来る仕事だったため(遅れたら自分が苦しいだけ)、休暇がとりやすかったため、海外旅行がしやすい状況にありました。
と言うことで、仕事が楽しい、人間関係良好、遊びもまた楽しい…と会社を辞めたくなるような要素が見つからず、どんどんお局様に君臨していくわけです(爆)。
結婚への願望も当初の「二十歳で結婚して23歳で一人子供を生んで」の23歳を越した頃からまったくなくなり、途中からは「同期のみんな(エンジニアの方々ね)の定年退職を見届けてから自分も定年退職まで働く」が口癖になっていました。
大卒のお兄さんだと私よりは少なくとも4年早く定年を迎えるので、みんなもそのつもりでいたようです。
そしてそれは当然のように私は独身のまま(爆)そのときを迎えるものだと思っていました。
確か1997年の終わりごろだったと思うのですが、社内全体での大きな組織改正があり、この後、日課担当の方に仕事の重心が変わっていきます。
そしてぶーちゃんが所属するグループの日課担当もすることになりました。
そして翌年1998年、二人が付き合うことになるきっかけが…。
お局様への道-その2-
入社して配属面接と言うのがありました 。
私は「じっと座っ ている仕事は向かないと思うし、人といっぱい接することの出来る職場が良いです」とはっきり言いました。もしかしてどこでも良いです~と言うような答え方 の方が良かったのかもしれませんが、でも、結果的にこれが良かったのか、私は経理部門ではなく、研究所に配属となりました。
お局様への道ーその1-
Weddingの話から少しずれてしまうのですが、でもバックグラウンドが少しわかってもらえるとあとで書くことがわかってもらいやすいかもしれないので、ここに書いておきます。
出会いーその1-で書いたのですが、私は高校を卒業してすぐにM社に入社しました。
が、本当は入りたくて入った会社ではなかったのです。担任の先生かつクラブの顧問が「お前あそこに行け~」と(笑)。
実は、商業科の偉い先生から内々に別のところを推薦されていて、形だけの試験を受ければいいことになっていたんです。
なので、進路希望にもその会社名を書いていたのですが、クラスに見学に行ってどうしてもそこに入りたいと言う子がいて、夏休みに担任と進路指導の先生の立会いの下、受験先の話し合いを持つことになりました。
私の場合どうしても行きたかったわけではなかったのですが、上記のことがあってじゃあ止めますと言うことも言えず、事情を話して考えさせてもらうことにしました。
で、推薦してくれていた先生と相談し、その会社の枠をもう一人増やしてもらうか止めるかと言うことになりました。が、そこまでその会社に執着していたわけじゃないので、別のところを受ける決心をしました。
が、もうこの時点では、他の生徒はすっかり希望を決めてしまっていて残っていたのは数社。
そのひとつがM社、あともうひとつ、まあ私が考えている条件に合いそう(完全週休二日が希望でした(爆))なところがありました。
もうひとつの所には、クラブ(私は男子バスケ部のマネージャーをしていました)の子のお姉さんが、働いていると聞いたので、電話をかけていろいろ聞かせていただきました。
実は、M社、うちのクラスの子の1/3以上が通学に使っているバスの路線の途中にある会社で、変な人が多いともっぱらの噂でした(涙)。
しかもうちから自転車で10分足らずのところにあり、私としてはそんな近い、まして街中を通らないで行ける様なところには行きたくないというのが本音でした。
電車で通勤、大阪の市街地に出るこれが私の夢だったのですが(笑)。
とにかくその先輩に仕事のこと、お休みのこと、お給料のことなど教えていただきました。
(この時点で2社にはあまり隔たりはありませんでした)
が、その方から最後に一言「結婚は考えている??」と。
一応17歳の乙女ですからね~(爆)。しかも私は漠然と二十歳くらいで結婚して、23歳くらいで一人目の子供を生んでと構想があったわけですよ (///∇///)
何も根拠はなかったのですが、ただそうしたいと。
なので、その方にも「はい、結婚はしたいです。今そういう話があるわけではありませんが、会社に行って見つけたいと思います」なんて答えたわけです。
そうするとその方からのお返事は「じゃあ、M社にしなさい。うちに来ても年寄りばかりなので、結婚相手は見つからないよ」と。 があーん!!
そこに担任かつ顧問の先生からも「おまえ、M社に行ってくれ。今年誰も希望を出さないと来年から求人が来ない…。」となきつかれてしまいました。
それでもまだ、M社には変な人が多い…と言うのが頭をよぎっていました。
そしてもうひとつ、1年上の先輩と言うのがとても優秀な方で、そのあとに入っていったら比較される~と言うのも躊躇するひとつの要因になっていました。
が、先生の駄目押し「M社にはバスケ部があるから、M社に入ったら市の大会とかでみんなに会えるな~」にころりと傾いてしまいました(爆)。
確かに市の大会にM社出ている。うちのOBとかも試合に出てくるから、学校を離れてもバスケのつながりがある~とその話に飛びついてしまったのでした。
何を隠そう、高校生活勉強しに行っていたのかクラブ活動に行っていたのかわからないくらい、クラブ活動が楽しくってはまっていました。
こうしてM社を受験し、入社することになったのですが、入ってショック!!
なんと、バスケ部がない!!
市の大会に出ていたのは私が入ったM社(製作所)ではなく、隣の市にあるM社(製作所違い)だったのです。
ここから、私のお局の道が始まっていきます。
出会い-その2-
最初に見たときの印象は、ぶーちゃんが新卒と言うのもあって「うわ~若い!!」でした(爆)
その後、同じ研究所と言っても職場が違う(同じビルの2階と5階と言う離れた場所にいた)ため、ほとんど顔をあわせることもありませんでした。
その1ヶ月後くらいに後輩の事務(M社では執務と呼んでいました)の子のグループ(課)がボーリング大会をするということで、誘われていきました。

Filed under: