Weddingの話から少しずれてしまうのですが、でもバックグラウンドが少しわかってもらえるとあとで書くことがわかってもらいやすいかもしれないので、ここに書いておきます。
出会いーその1-で書いたのです が、私は高校を卒業してすぐにM社に入社しました。
が、本当は入りたくて入った会社ではなかったのです。担任の先生かつクラブの顧問が「お前あそ こに行け~」と(笑)。
実は、商業科の偉い先生から内々に別のところを推薦されていて、形だけの試験を受ければいいことになっていたんです。
なので、進路希望にもその会社名を書いていたのですが、クラスに見学に行ってどうしてもそこに入りたいと言う子がいて、夏休みに担任と進路指導の先生の立会いの下、受験先の話し合いを持つことになりました。
私の場合どうしても行きたかったわけではなかったのですが、上記のことがあってじゃあ止めますと言うことも言えず、事情を話して考えさせてもらうことにしました。
で、推薦してくれていた先生と相談し、その会社の枠をもう一人増やしてもらう か止めるかと言うことになりました。が、そこまでその会社に執着していたわけじゃないので、別のところを受ける決心をしました。
が、もうこの時点では、他の生徒はすっかり希望を決めてしまっていて残っていたのは数社。
そのひとつがM社、あともうひとつ、まあ私が考えている条件に合いそう (完全週休二日が希望でした(爆))なところがありました。
もうひとつの所には、クラブ(私は男子バスケ部のマネージャーをしていました)の子のお姉さんが、働いていると聞いたので、電話をかけていろいろ聞かせていただきました。
実は、M社、うちのクラスの子の1/3以上が通学に使っているバスの路線の途中にある会社で、変な人が多いともっぱらの噂でした(涙)。
しかもうちから自転車で10分足らずのところにあり、私としてはそん な近い、まして街中を通らないで行ける様なところには行きたくないというのが本音でした。
電車で通勤、大阪の市街地に出るこれが私の夢だったのですが(笑)。
とにかくその先輩に仕事のこと、お休みのこと、お給料のことなど教えていただきました。
(この時点で2社にはあまり 隔たりはありませんでした)
が、その方から最後に一言「結婚は考えている??」と。
一応17歳の乙女ですからね~(爆)。しかも私は漠然 と二十歳くらいで結婚して、23歳くらいで一目の子供を生んでと構想があったわけですよ (///∇///)
何も根拠はなかったのですが、ただそうしたいと。
なので、その方にも「はい、結婚はしたいです。今そういう話があるわけではありませんが、会社に行って見つけたいと思います」なんて答えたわけです。
そうするとその方からのお返事は「じゃあ、M社にしなさい。うちに来ても年寄りばかりなので、結婚相手は見つからないよ」 と。 があーん!!
そこに担任かつ顧問の先生からも「お まえ、M社に行ってくれ。今年誰も希望を出さないと来年から求人が来ない…。」となきつかれてしまいました。
それでもまだ、M社には変な人が 多い…と言うのが頭をよぎっていました。
そしてもうひとつ、1年上の先輩と言うのがとても優秀な方で、そのあとに入っていったら比較される~ と言うのも躊躇するひとつの要因になっていました。
が、先生の駄目押し「M社にはバスケ部があるから、M社に入ったら市の大会とかでみんなに会えるな~」にころりと傾いてしまいました(爆)。
確かに市の大会にM社出ている。うちのOBとかも試合に出てくるから、学校を離れてもバスケのつながりがある~とその話に飛びついてしまったのでした。
何を隠そう、高校生活勉強しに行っていたのかクラブ活動に行っていたのかわからないくらい、 クラブ活動が楽しくってはまっていました。
こうしてM社を受験し、入社することになったのですが、入ってショック!!
なんと、バスケ部がない!!
市の大会に出ていたのは私が入ったM社(製作所)ではなく、隣の市にあるM社(製作所違 い)だったのです。
ここから、私のお局の道が始まっていきます。
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何から書き始めましょうか…。
やはり出会いとか馴れ初めからですかね。
ぶーちゃん(旦那)と初めてあったのは1996年。
私 は地元の高校(商業科)を卒業し、とある会社に勤めて十云年。いわゆるお局様と呼ばれるようになっていました。
(もっとも上にあまり先輩がいな くって2年目からはずっと後輩を教える立場にいたので、2年目で早くもお局様的な存在でしたが(苦笑))
一方のぶーちゃんは、アメリカの大学を出 たばかりで、大学の非常勤講師(それが私が勤めていた会社のアメリカ法人の会社の社員だった)の勧めで、うちの会社の採用試験を受けることになり(アメリ カではなく日本採用)、その試験に合格して9週間の日本語研修を終えて、日本にやってきました。
ややこしいのでこのあと会社のことを話すときはM 社としておきます。
私はこのM社の研究所の統括部門で事務をしていたのですが、その当時の私の上司がたまたま本社の人事採用の仕事を兼ね ていて、アメリカの数箇所に面接に行っていたりしていました。
その関係でぶーちゃんともアメリカであっていたらしいのですが、たまたまぶーちゃん はうちの研究所に配属されることになり、挨拶に来ました。
上にも書いたとおり、私は事務の仕事をしていて、お客様がこられたときは(社内も含む) お茶を出すと言うのも仕事のひとつでした。
そんなわけで、初めて会ったのは会社の応接室で、もちろん、言葉を交わすこともないと言うようなもので した。
と、いきなり年齢差があると言うことをばらすこと になってしまいましたね(爆)
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最初に見たときの印象は、ぶーちゃんが新卒と言うのもあって「うわ~若 い!!」でした(爆)
その後、同じ研究所と言っても職場が違う(同じビルの2階と5階と言う離れた場所にいた)ため、ほとんど顔を あわせることもありませんでした。
その1ヶ月後くらいに後輩の事務(M社では執務と呼んでいました)の子のグループ(課)がボーリング大会をする ということで、誘われていきました。
M社、特に研究所関係には女性が少なく、宴会と言えば執務のつながりで女性を集めていました(笑)。
な ので、私のようなお局にも声がかかるわけです(爆)。
それはさておき、そのボーリング大会にぶーちゃんも誘われてきていました。
と言うの もその主催したグループにはスイス人のエンジニアが、ぶーちゃんと同じ日から働き出したので、こちらは外国人つながり!?
もっともスイス人の彼 は、すでに数年M社の違う製作所で働いていたので、結構日本語が達者でした。
M社は海外にも工場を持っていて、一時期研修でたくさんの外国人が来 ていたのですが、私が知っているアメリカ人というのは大抵が陽気で、気軽に声をかける…と言う人が多かったんです。
なので、ボーリング大会の 後、お好み焼きを食べに行ったときにぶーちゃんと同じテーブルになったのですが、ぶーちゃんはほとんどしゃべらず、「
アメリカ人のくせに暗い」←(勝手な偏見でごめんなさい)と言う印象しか 残りませんでした。
その後廊下であってもスイス人の子はHi~と声をかけるのに、ぶーちゃんはそれもなかったので、
やはり暗い!!(爆)と言う印象でした。
その後「粉もん ツアー」(なんとも大阪らしいでしょ。お好み焼きやさん、たこ焼きやさん、いわゆる粉もののお店を数件はしごして食べ歩くツアー)や宴会などで数回顔をあ わせました。
粉もんツアーのときは、最後帰る方向が一緒なのが二人だけで、途中から二人になったのですが、これまた話すことなく、もうその帰り道 が苦痛で…。
その二人がなぜに話すようになったのか??
この続きはまた。
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何から書き始めましょうか…。
やはり出会いとか馴れ初めからですかね。
ぶーちゃん(旦那)と初めてあったのは1996年。
私 は地元の高校(商業科)を卒業し、とある会社に勤めて十云年。いわゆるお局様と呼ばれるようになっていました。
(もっとも上にあまり先輩がいな くって2年目からはずっと後輩を教える立場にいたので、2年目で早くもお局様的な存在でしたが(苦笑))
一方のぶーちゃんは、アメリカの大学を出 たばかりで、大学の非常勤講師(それが私が勤めていた会社のアメリカ法人の会社の社員だった)の勧めで、うちの会社の採用試験を受けることになり(アメリ カではなく日本採用)、その試験に合格して9週間の日本語研修を終えて、日本にやってきました。
ややこしいのでこのあと会社のことを話すときはM 社としておきます。
私はこのM社の研究所の統括部門で事務をしていたのですが、その当時の私の上司がたまたま本社の人事採用の仕事を兼ね ていて、アメリカの数箇所に面接に行っていたりしていました。
その関係でぶーちゃんともアメリカであっていたらしいのですが、たまたまぶーちゃん はうちの研究所に配属されることになり、挨拶に来ました。
上にも書いたとおり、私は事務の仕事をしていて、お客様がこられたときは(社内も含む) お茶を出すと言うのも仕事のひとつでした。
そんなわけで、初めて会ったのは会社の応接室で、もちろん、言葉を交わすこともないと言うようなもので した。
と、いきなり年齢差があると言うことをばらすこと になってしまいましたね(爆)
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